海と畑のせとうち暮らし、ときどきウイスキー

瀬戸内海近くの山の中で山を見ながらアイラウイスキーを飲んでる田舎者のお話

政治・選挙について"誰かに"話をすることへの恐怖がある:ぼやきシリーズ(4)

2年前の衆議院選挙の投票前日のことだ。
当時、20歳、初めての選挙だなと候補者の公約くらい見ておこうと思っていた時
僕のもとに、一通の電話があった。

「あの党には入れてはダメ。◯◯党に入れてね!」
知り合いのおばちゃんから、選挙に行ったら、ここに入れろという
お願いの電話だった。


適当に話しを聞きながら、電話を切った。
政治について公に意見を喋べることに恐怖感を覚えたのは、その時からだ

あらかじめ、言っておくが、そのおばちゃんは、決して悪人ではない。
むしろ、僕のことを応援してくれて、イベントの運営まで献身的に手伝ってくれた方だ。
だからこそ、恐怖感を覚えたのだと思う。
もし、僕がそのおばちゃんの”お願い”を無視したら、これまで手伝ってくれたことに対しての裏切りじゃないのか
そんなことを考えてしまった。

もちろん、僕の意見や考え方を僕自身で決断し、投票という行動に移せばいいと思う。

だが、それが周囲の人たちとの軋轢を生むのではないかという不安が生まれた。
裏切ったな、そんなことを言われてしまうのではないかという不安・恐怖だ。





FacebookTwitterなどのSNSを見渡してみると
いわゆるリベラルと保守の二項対立をよく見かける。
お互いの批判をよく言い続けられるなとたまに関心してしまう。

僕自身、正直、リベラルがなにで、保守がなにかというのは理解していない。(というか、僕がどっちの思想かというのもない)
していないのだが、それらに属する仲の良い友人や知人もいる。

リベラルと保守の対立をSNS上で見ているということもあって
自分が、その人の主義主張と相反するものを意見として述べたときに
SNS上で起きている炎上に似たものに巻き込まれるという不安があった。
いや、それ以上よりも、その仲の良い友人との関係が崩れてしまうのではないかという恐怖だ。


僕は、政治をその時の政策を見て判断したいと思っている。
それは2年前とは変わらない。

だが、その主張が一定のコミュニティでは排除され、議論の土台にも上らせてもらえない(かもしれない)ことに関して
非常に恐怖を覚えている。


今日、ニュースを席巻している参議院選挙。
ここでも、その恐怖の一線を越えないでいるなということをに気がついた。
結局、誰かと議論するときに、自分の主張をぶつけていない。
仲の良い人との軋轢を生みたくないと心のどこかで思っているのだ。

「みんな一緒でないと、ダメ」
なるほど・・・
小学校の時に、みんな一緒が善とされる教育がここで効果を発揮するしてるのか・・・
声の大きいやつについて行って、自身は思考停止に陥る。
多分、今の僕はこの状態なんだろう。


政治とは一体なんなのだろう。

政治とは戦争なのだろうか。

お互いの正義をぶつけ合い、潰し合い

勝ち残ったものが、その時代の正義となるのか?

それが民主主義というのか?

よくわからない、考えてもよくわからん。

よくわからないが

本当に、ただ、ただ、お互いに潰しあっているのであれば

そんな世の中、クソ食らえ。

このぼやきが、その一線を越えるきっかけとなるよう
心に留めておきたい。